NAUI 50周年を迎えて

NAUIと共に振り返ってみれば 2010年

NAUI50周年の年(2010年)に、むねダイビングショップも 半分の25周年を迎える事になります。懐かしい 思い出として、むねダイビングショップオープン 当時のダイビング事情を記させて頂きます。


2000年頃の店舗

時代は、ダイビング人気が高まりつつある頃で、「厳しいNAUI、 楽な****」という話がお客様にまで広まっていました。1985年から 東京・荻窪で営業していたショップの近くには 少し後に、 女性インストラクター自身が「私も泳げませんけど ダイバーです」って、雑誌で宣伝していた他団体のショップがオープン したりしました。 それでも講習生の比率は、NAUIで40%位はあったと 思っています。講習料も今より高額で、、年齢層も少し 高いという事もあり、楽なだけじゃ海に入るのは怖いし、 海を楽しめないと考える人が多かったと思います。

教材は、翻訳された教科書が一冊で、ステップアップ 講習などは手作り教材で講習をしていました。コース 基準を守り教える事が出来ればOKだった時代です。
比較される他の指導団体の講習が教材やインストラクションマニュアルに 縛られている時に、NAUIのインストラクターは、一人一人が工夫や努力を して自前のダイビング講習をしていました。個性のあるインストラクター も本当に多く、一年かけ二十数本のダイブ経験でオープンウォーターを 認定する人や、ステップアップカードはいらないからその分たくさん 潜った方がうまくなると言い切って生徒のほとんどがエントリーカードだけ でやっている人とかいろいろでした。教育と商売の狭間で、皆さん一生懸命 だったと思います。

当時の基準で、200m水泳がありましたが、 これには苦労させられました。泳げる人が多かったのですが、200mを泳ぐと なると厳しい人や 泳げない人もダイビングの講習を受ける時代になっていました。 水が怖いとか言って、なんで講習を受けているのかわからない人までいらっしゃいました。 カードさえあれば二度と潜らないからなんていう人まで現れました。 そう、ダイビングブームが始まったのです。

雑誌は、簡単にダイビングが出来る事を唱った宣伝ばかりになり、 誰もがダイビングを始めようとしたのです。この泳げない人達、 水が嫌いな人達に時間をかける事によって水に慣れてもらい、 ダイビングの技術を習得して貰いました。マスクとスノーケルが あれば問題ないけど、裸泳ではどうしても長く泳げない人達には、 水泳教室までやった事を覚えています。
むねダイビングショップの場合、 講習生に長くダイビングを続けて欲しいと思っていましたから、 ステップアップも充実させて継続教育に力をいれました。また、 講習をしっかりやっておかないとツアーの時に担当する スタッフが大変だと言う裏の理由(?)も少しはあったのですが、 潜れるダイバーを養成したと自負しています。
むねダイビングショップのツアーで潜っていると、 他のメンバーと比べ、まだまだ下手くそだと感じていた人でも、 海外や沖縄などで他のダイバー達と一緒に潜ると自身のレベルの 高さに驚き自信を持って帰ってきたものでした。トラブルに遭遇 したり、技量不足の人達を見て更にステップアップの必要性を 感じた人も多かったようです。安全に潜れる事が誇れ、 十分に時間を掛けた講習に価値があった頃でした。


北海道流氷ツアーにて

ダイビングが「やりたいスポーツのNo1」であり続けた中、 ダイバー受講生が増加し、海外や沖縄で「旅行のついでにダイバー」 的なコースも開催されました。3日で講習できる他団体と4日はかかるNAUIでは、 更に講習生の数に差が出てきたのもこの頃でした。事実、 「200m水泳という基準をなんとかしてくれ」と、 NAUIの担当に喰ってかかったこともありました。器材を使って ダイビングをする事と裸泳で泳げる事がイコール良いダイバーとは 限らないという認識もあったのですが、 他指導団体との講習生獲得競争に不利だということで、この基準を守らない NAUIの店が増えれば、将来的に NAUIの質が維持出来なくなるのが心配でした。一つの基準を守らない事で他の 基準でも手を抜くことが容易に想像できたからです。今は、良い悪いは 別にして、「泳げること」という漠然とした基準に変わっているのも事実です。

その数年後には、インストラクターを心太方式で製造してくると揶揄しながらも 対抗するためにITCの開催数を増やそう、NAUIインストラクターをもっと 増やそうという事で、安定した経営の為にNAUIJAPANを経て設立されていた NAUIエンタープライズがコース基準やITCシステムの改定などを行ない 大きく舵をきったと思っています。
「NAUIも差がなくなった」 「システム的な方が、個々の能力に頼るNAUIよりいいかも」という 声すら聞こえて来たのもこの頃です。お手軽指導に追いつけと手軽さを 後を追うようになって行ったのもこの頃です。新たなカード発行競争の 結果はどうだったのか気になる所です。

「BUOY・ブイ」という海を遊ぶダイブマガジンという雑誌を覚えていますか? 知らない年代の方も多いと思いますが、発行元NAUIJAPANで数年ながら発刊されたものです。 この寄稿文の参考にと引っぱり出してきたら、内容や登場人物が懐かしいものばっかりで しばらく読みふけってしましました。この頃もいろいろな話(仕事?)が回ってきました。 居酒屋チェーンが黒糖焼酎のキャンペーンで、喜界島や沖縄への船旅を企画するので 一緒に行って体験ダイビングをやってきてくれとか、イベント会場で丸形の水槽 (海洋公園も一時あったドラム型の潜水プール)に飛び込んで、観客の見ている前で スクーバベイルアウトをやってみせてくれとか、水中撮影シーンの代役とか、 ショップを舞台にTVドラマ1回分の撮影をしたりと今、思い出しても懐かしく 楽しいものばかりです。


富戸にて

現在、むねダイビングショップは、現地型サービスとしてファンダイバーを 受け入れています。講習内容が簡素化されていく傾向の中、最低限の基本技術が 出来るダイバーを是非、養成して欲しいとスクールショップにはお願いしたいと 思っています。 

追記:不適切な表記があるようでしたら、そんな時代だったと勘弁して頂きたい。

インストラクター同期を偲んで


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